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お知らせ 私も年老いて余命何年も残っていない年齢なりました。このまま作品を手元に置いて、暗い倉庫に置いて置くのも、もったいないと思うように成りました。安くして気にいってくれた人に持って頂くのが良いと思うように成りました、作品も残るし。F30号 横9mcm×73cm 額縁無しで130、000円では如何ですか?。少しはサイトにも貢献したい。 私しの家も何カ所か飾って要るが壁面3mもあれば、飾って楽しめる。宜しくお願い致します。 コロナウイルスは十分に気を付けてお過ごしください。 江戸 戦乱の後、豊臣秀吉の三条、五条橋の架け替えなどを経て、鴨川の河原は見世物や物売りで賑わいます。それにともない、富裕な商人が見物席を設けたり、茶店ができたりするように。これが納涼床の始まりです。 江戸時代に入ると石垣や堤が整備され、付近に花街も形成され、歓楽街になりました。祇園祭の神輿洗いでは見物客で大変賑わったといいます。 江戸中期には約400軒の茶屋が床机の数を定めるなど、組織化も進んでいたようです。当時の床は浅瀬に床机を置いたり、張り出し式や鴨川の砂洲に床机を並べたもので「河原の涼み」と呼ばれました。 四条河原夕涼其一 【絵図】「四条河原夕涼其一」(『江戸時代の京都遊覧 彩色みやこ名勝図会』白幡洋三郎 彩色・著) F30 ガイドブックを参考 明治・大正 明治時代になって、7、8月に床を出すのが定着、鴨川の右岸・左岸両方に床が出ていました。 両岸は高床式の床、砂洲は床机、三條大橋の下には河原から張り出した床が出ていたようです。 明治27年(1894)の鴨川運河開削や大正4年(1915)の京阪電車鴨東線の延伸などにより、左岸(東側)の床が姿を消し、大正時代には治水工事のため床机が禁止され、工事により禊川ができます。 昭和 三条大橋下の床 【写真】「三条大橋下の床」(写真協力 国際日本文化研究センター) 昭和・平成昭和4年、半永久的な床は禁止になります。昭和9年の室戸台風、翌年の集中豪雨で納涼床は壊滅的な被害を受けました。さらに第二次世界大戦では完全に納涼床の灯が消えます。 戦後、昭和27年「納涼床許可基準」が策定され、景観上の基準になりました。 納涼床を許可する窓口である京都鴨川納涼床協同組合(前・鴨涯保勝会)は「納涼床設置規則」を定め、納涼床の文化風習を未来へと伝えるべく尽力しています

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